負債整理
今年の元旦に父が亡くなった。ほんの数時間前まで談笑していた…とはいえず、父は数年前からほとんど言葉が出ない状態で、身振り手振りで伝えようとするのだけど、ほとんど理解できなかった。私は帰り際に決まって「また来るね」と言うのだけど、父はそんな状態だから、顔色も変わらず、まあ、喜んでるのかな?くらいの感じだった。父が亡くなる直前まで、家族全員揃っていた。まず母がいて、祖母もいた。私たちは三兄弟だけど、次男だけいなくて、三男夫婦とその子どもが来てた。私は前妻と、実子が4人全員揃ってきてた。岐阜から息子を連れてきたのだ。前妻と末娘は、東京の実家に来ていたらしい。誘ったら来た。長女は父と同居している。といっても玄関が別れているので、二世帯住宅みたいな感じだ。ほとんど会わない。なので弟以外は全員来ていて、最後に記念撮影をした。これが最後の写真になった。記念撮影をしておいてよかったなと思った。
父が亡くなって、相続整理をしてもらった。母が存命なので、私たち三兄弟は相続放棄して母に譲ろうとした。しかし、私が父から借りていたお金が2000万円近くあって、「これを相続すると母上が大変」という司法書士の先生の言葉で、私の借金は負債と相殺された。借金ゼロである。
そうこうしているうちに、もう一周忌の話が出てきた。もう1年か?と思うけど、まだ1年経っていない、気が早いものだと思う。年末年始だし、お坊さんも忙しいのだろうと思って、少し早めに身内だけでやったらいいのではないかと提案しておいた。仕切りは、お葬式のときも、次男がやってくれた。いろいろやってるのに間が悪いやつだなと思う。記念写真に入っていたらなと思った。家族全員が揃って記念写真を撮ったのは、恐らく私が岐阜に行く前に、前妻を紹介したときだろう。まあもう別れてしまったのだから、私には結婚は向いてなかったのだと思う。2回も失敗したら、諦めもつく。家族全員の写真はもう撮れないのだ。なんだかんだで世話になったなと思う。私がどのような人生を歩めば、父は喜んでくれるだろうか。父との思い出は、あんまりない。というかほとんど無い。小学生のとき、私も弟たちも野球をやっていたのだけど、私だけ別チームだったこともあって、父はこちらのチームの試合には来なかった。唯一来たのは、父がアルコール中毒で久里浜病院に入院する当日の昼の、六郷土手での試合だった。私はほとんどいつも出塁しなかったのだが、この日だけ、2ベースを2本も打った。記憶が定かではないが、私が2回もヒットを打ったのは、この日が最初で最後だったろう。父は喜んだような顔をしてなかったと思う。試合の途中で病院に向かった気がする。やったねーーー!とか見てたよーー!とか、すごかったねーーー!という言葉が無い親だった。今でも、そう思う。私は褒められないものだから、褒めてくれる人を好きになっていたと思うのだけど、1人目は浮気し、2人目は別居して別れた。私のことをちゃんと見て、褒めてくれる人いないかなーと思うのだけど、そんな人はいないのだ。褒めてくれる人に恵まれない人生だった。
さてこれから、私はきっと褒めてくれる人に出会っても信用しないだろう。あるいは、褒めてくれる人にあったらチョロ松かもしれない。どちらだろうか。そういう出会いがあるといいなと思う。
今年の元旦に父が亡くなった。ほんの数時間前まで談笑していた…とはいえず、父は数年前からほとんど言葉が出ない状態で、身振り手振りで伝えようとするのだけど、ほとんど理解できなかった。私は帰り際に決まって「また来るね」と言うのだけど、父はそんな状態だから、顔色も変わらず、まあ、喜んでるのかな?くらいの感じだった。父が亡くなる直前まで、家族全員揃っていた。まず母がいて、祖母もいた。私たちは三兄弟だけど、次男だけいなくて、三男夫婦とその子どもが来てた。私は前妻と、実子が4人全員揃ってきてた。岐阜から息子を連れてきたのだ。前妻と末娘は、東京の実家に来ていたらしい。誘ったら来た。長女は父と同居している。といっても玄関が別れているので、二世帯住宅みたいな感じだ。ほとんど会わない。なので弟以外は全員来ていて、最後に記念撮影をした。これが最後の写真になった。記念撮影をしておいてよかったなと思った。
父が亡くなって、相続整理をしてもらった。母が存命なので、私たち三兄弟は相続放棄して母に譲ろうとした。しかし、私が父から借りていたお金が2000万円近くあって、「これを相続すると母上が大変」という司法書士の先生の言葉で、私の借金は負債と相殺された。借金ゼロである。
そうこうしているうちに、もう一周忌の話が出てきた。もう1年か?と思うけど、まだ1年経っていない、気が早いものだと思う。年末年始だし、お坊さんも忙しいのだろうと思って、少し早めに身内だけでやったらいいのではないかと提案しておいた。仕切りは、お葬式のときも、次男がやってくれた。いろいろやってるのに間が悪いやつだなと思う。記念写真に入っていたらなと思った。家族全員が揃って記念写真を撮ったのは、恐らく私が岐阜に行く前に、前妻を紹介したときだろう。まあもう別れてしまったのだから、私には結婚は向いてなかったのだと思う。2回も失敗したら、諦めもつく。家族全員の写真はもう撮れないのだ。なんだかんだで世話になったなと思う。私がどのような人生を歩めば、父は喜んでくれるだろうか。父との思い出は、あんまりない。というかほとんど無い。小学生のとき、私も弟たちも野球をやっていたのだけど、私だけ別チームだったこともあって、父はこちらのチームの試合には来なかった。唯一来たのは、父がアルコール中毒で久里浜病院に入院する当日の昼の、六郷土手での試合だった。私はほとんどいつも出塁しなかったのだが、この日だけ、2ベースを2本も打った。記憶が定かではないが、私が2回もヒットを打ったのは、この日が最初で最後だったろう。父は喜んだような顔をしてなかったと思う。試合の途中で病院に向かった気がする。やったねーーー!とか見てたよーー!とか、すごかったねーーー!という言葉が無い親だった。今でも、そう思う。私は褒められないものだから、褒めてくれる人を好きになっていたと思うのだけど、1人目は浮気し、2人目は別居して別れた。私のことをちゃんと見て、褒めてくれる人いないかなーと思うのだけど、そんな人はいないのだ。褒めてくれる人に恵まれない人生だった。
さてこれから、私はきっと褒めてくれる人に出会っても信用しないだろう。あるいは、褒めてくれる人にあったらチョロ松かもしれない。どちらだろうか。そういう出会いがあるといいなと思う。
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