母を起点とした家庭
ルソー著「エミール」岩波文庫を読み始めて1ヶ月になる。私は大変な遅読なので、いま50ページ目くらいだ。読むのが遅いエピソードとしては、ジャンプを1冊読むのに2時間くらいかかる。なぜだかわからないけど、私は本を読むのが遅いのだ。もしかしたらいろんなことに考えが飛んでしまって、戻ってくるのに時間がかかっているのかもしれない。
さてエミールの50ページ目付近に、こんなことが書いてある。「母親が自分の役割を放棄して乳母に子育てを任せて、どうやって子どもは母の心くばりを知るだろうか。そして子が幼児へと成長して乳母から引き離したとき、子どもは母親を母親として認識するだろうか。」すごく意訳になってしまったが、ざっくりこんな感じのことが書いてある。なるほど、この観点はさすがだと思う。母親として接していない女性のことを、産んだからとて、子は母親と認識しないというのだ。そして、「子が乳母から母に情を移そうものなら、それは母から次の女に情が移ってもおかしくないのだ」ということが続けて書いてある。人間の関係性が対応時間によるのであれば、まさしくこの提言は正しいように思う。ようは、産んでも特別なことはないということだ。産み、育てなければ、子から見た母にはなれないということ。こういう風に考えると、家庭(ここでいう家庭は、夫婦と子どもがいる家)の概念形成には、最大時間をもって接しているということが上げられているようだ。
そして、父親についても言及しているが、父が母を甘やかして乳母なんか雇うから家庭が崩壊するらしい。たしかに。たしかにたしかに。ルソーは的確だろう。田舎の女は自分で産んで育てるのだから、田舎の女と結婚しろというような一文があって、こんな昔から都会の女はダメなんだなと思った。田舎の女が良いというわけではない。ただ、楽をして、子からの愛情も受けて、夫からも愛されるわけがないということをルソーは言いたいのだと思う。
「母親が母の役割をさぼると家庭は崩壊する」逆に「母親が母の役割をきちんとこなせば家庭は安泰」ということだろうか。これには納得できるものがある。家を守ること、家内という言葉など、日本にも嫁とか、そういう言葉がたくさんあるのだし、きっと昔からそうだったんだろう。それでは、女性の社会進出とは何だろうか。
女性が大学に行ったり、就職したりする。これはなぜ江戸時代などでは無かったのだろうか。まず、江戸時代にも女中があったし、女城主などもいた。ただ、平均寿命が若かったので、女性が勤める期間が非常に短かったのだと思う。入れ替わりが激しいということだ。これは雇用流動性ってやつだと思う。女性のためを考えれば、すぐに雇われて、すぐに解雇されるような環境のほうが良いのだ。その方が、妊娠出産、家の大事など、すぐに動きやすい。今の日本社会が雇用を守ろうという男性向けの制度に女性をはめ込んでいるので、無理が出ている。そして、女性が働くと、楽な仕事やフロント業務は女性がやるようになる。男性は辛い厳しい仕事が多くなるのだ。こういう辛くて厳しい仕事に女性はつかないものだ。いろいろ考えると、わかることは多い。
ルソーが言うように、女性は家庭に入り、子育てをすることが社会的な仕事であるという認識に立つならば、以前どこかのTwitterで言われていたように、「専業主婦は1000万円以上仕事をしている」というのは、金額は多すぎるけど、言い得て妙であると思う。とりわけ、子育てしている女性には、月に160時間分の最低賃金程度は支払ってもいいと思う。これは目安ではないけど、専業主婦を職業にするのは良い案だと思う。子どもを産んだら1000万円よりもよほど良い気がする。1人につき1100円/時で160時間分支給されれば、176000円である。3人くらい産めば、夫よりも高給取りになる可能性があって、社会的に見て、そのくらい払ってもよいのかなと思う。18万円だとして、1年で216万円、18年で3888万円(計算あってるかな)。子どもを1人産んだら経済効果は2億円らしいので、3888万円払っても良さそうではある。そうすると、子育てのプロみたいな母親が出てきても不思議ではないだろう。5人くらい産んで育てる人だ。ただ、これにベビーシッターなど雇われるとちょっとやっかいなのだろう。ルソーの言うように、自力で子育てしている人に対してのみ支払われるのであって、復職して保育園に預ける人には支払われるべきではないのだろうか。そこが非常に疑問で、ベーシックインカムの考え方で言えば、無理に働かなくてもよいのであって、18年しっかり子育てしていても良くなる。ただ、そうすると18年後、例えば25歳で子どもを産んだら18年後は43歳なわけで、43歳で無職で能力のまったくない人間が、そこからどうやって社会復帰するのであろうか。そういうことも考えて、例えば子どもが中学生になったくらいから働きに出て、6年かけて仕事を覚えるとかはありだろう。そういう社会になっても良さそうなものだ。ただ、これらを専業主婦のお給料として取り扱ってしまうと、所有の問題が出てくる。なので、子どもに対して育てられる権利分のお金であることに言及しないといけないだろう。保育園、幼稚園、小中学校、高校、大学への支払いの追加支援は行われない。払われているからだ。そういう考えのもとでいけば、とてもよいように思える。3900万円払っても、他の補助が打ち切られるのであれば、実質プラマイゼロに近いだろう。そして人口問題もかなり改善するだろう。
話しは脱線したのだけど、女性を職業「母」にしようとするこの制度は、リベラル女性が好まないものだろう。ただ、言い方を変えて、きちんとした社会保障制度であって、女性の社会進出を阻むものでは無いなどと、宣伝する必要はあるなあ。
そういうことをすぐ脱線して考えるから読むのが遅いのだろうなと思う。
ルソー著「エミール」岩波文庫を読み始めて1ヶ月になる。私は大変な遅読なので、いま50ページ目くらいだ。読むのが遅いエピソードとしては、ジャンプを1冊読むのに2時間くらいかかる。なぜだかわからないけど、私は本を読むのが遅いのだ。もしかしたらいろんなことに考えが飛んでしまって、戻ってくるのに時間がかかっているのかもしれない。
さてエミールの50ページ目付近に、こんなことが書いてある。「母親が自分の役割を放棄して乳母に子育てを任せて、どうやって子どもは母の心くばりを知るだろうか。そして子が幼児へと成長して乳母から引き離したとき、子どもは母親を母親として認識するだろうか。」すごく意訳になってしまったが、ざっくりこんな感じのことが書いてある。なるほど、この観点はさすがだと思う。母親として接していない女性のことを、産んだからとて、子は母親と認識しないというのだ。そして、「子が乳母から母に情を移そうものなら、それは母から次の女に情が移ってもおかしくないのだ」ということが続けて書いてある。人間の関係性が対応時間によるのであれば、まさしくこの提言は正しいように思う。ようは、産んでも特別なことはないということだ。産み、育てなければ、子から見た母にはなれないということ。こういう風に考えると、家庭(ここでいう家庭は、夫婦と子どもがいる家)の概念形成には、最大時間をもって接しているということが上げられているようだ。
そして、父親についても言及しているが、父が母を甘やかして乳母なんか雇うから家庭が崩壊するらしい。たしかに。たしかにたしかに。ルソーは的確だろう。田舎の女は自分で産んで育てるのだから、田舎の女と結婚しろというような一文があって、こんな昔から都会の女はダメなんだなと思った。田舎の女が良いというわけではない。ただ、楽をして、子からの愛情も受けて、夫からも愛されるわけがないということをルソーは言いたいのだと思う。
「母親が母の役割をさぼると家庭は崩壊する」逆に「母親が母の役割をきちんとこなせば家庭は安泰」ということだろうか。これには納得できるものがある。家を守ること、家内という言葉など、日本にも嫁とか、そういう言葉がたくさんあるのだし、きっと昔からそうだったんだろう。それでは、女性の社会進出とは何だろうか。
女性が大学に行ったり、就職したりする。これはなぜ江戸時代などでは無かったのだろうか。まず、江戸時代にも女中があったし、女城主などもいた。ただ、平均寿命が若かったので、女性が勤める期間が非常に短かったのだと思う。入れ替わりが激しいということだ。これは雇用流動性ってやつだと思う。女性のためを考えれば、すぐに雇われて、すぐに解雇されるような環境のほうが良いのだ。その方が、妊娠出産、家の大事など、すぐに動きやすい。今の日本社会が雇用を守ろうという男性向けの制度に女性をはめ込んでいるので、無理が出ている。そして、女性が働くと、楽な仕事やフロント業務は女性がやるようになる。男性は辛い厳しい仕事が多くなるのだ。こういう辛くて厳しい仕事に女性はつかないものだ。いろいろ考えると、わかることは多い。
ルソーが言うように、女性は家庭に入り、子育てをすることが社会的な仕事であるという認識に立つならば、以前どこかのTwitterで言われていたように、「専業主婦は1000万円以上仕事をしている」というのは、金額は多すぎるけど、言い得て妙であると思う。とりわけ、子育てしている女性には、月に160時間分の最低賃金程度は支払ってもいいと思う。これは目安ではないけど、専業主婦を職業にするのは良い案だと思う。子どもを産んだら1000万円よりもよほど良い気がする。1人につき1100円/時で160時間分支給されれば、176000円である。3人くらい産めば、夫よりも高給取りになる可能性があって、社会的に見て、そのくらい払ってもよいのかなと思う。18万円だとして、1年で216万円、18年で3888万円(計算あってるかな)。子どもを1人産んだら経済効果は2億円らしいので、3888万円払っても良さそうではある。そうすると、子育てのプロみたいな母親が出てきても不思議ではないだろう。5人くらい産んで育てる人だ。ただ、これにベビーシッターなど雇われるとちょっとやっかいなのだろう。ルソーの言うように、自力で子育てしている人に対してのみ支払われるのであって、復職して保育園に預ける人には支払われるべきではないのだろうか。そこが非常に疑問で、ベーシックインカムの考え方で言えば、無理に働かなくてもよいのであって、18年しっかり子育てしていても良くなる。ただ、そうすると18年後、例えば25歳で子どもを産んだら18年後は43歳なわけで、43歳で無職で能力のまったくない人間が、そこからどうやって社会復帰するのであろうか。そういうことも考えて、例えば子どもが中学生になったくらいから働きに出て、6年かけて仕事を覚えるとかはありだろう。そういう社会になっても良さそうなものだ。ただ、これらを専業主婦のお給料として取り扱ってしまうと、所有の問題が出てくる。なので、子どもに対して育てられる権利分のお金であることに言及しないといけないだろう。保育園、幼稚園、小中学校、高校、大学への支払いの追加支援は行われない。払われているからだ。そういう考えのもとでいけば、とてもよいように思える。3900万円払っても、他の補助が打ち切られるのであれば、実質プラマイゼロに近いだろう。そして人口問題もかなり改善するだろう。
話しは脱線したのだけど、女性を職業「母」にしようとするこの制度は、リベラル女性が好まないものだろう。ただ、言い方を変えて、きちんとした社会保障制度であって、女性の社会進出を阻むものでは無いなどと、宣伝する必要はあるなあ。
そういうことをすぐ脱線して考えるから読むのが遅いのだろうなと思う。
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