コミュニティと教育見終わった
放送大学の「コミュニティと教育」全15回を見終わった。今すぐ役に立つ知識なのかどうかと問われると、少しよくわかんない。ただ、見終わった上で、最近私の周りで聞いた話を整理することはできるなと思った。
昨年、岐阜県加茂郡PTA連合会(以下「群P」という)の副会長を仰せつかった。1年かけて群Pを解散する提案をし、総会にて解散が決定された。夏休みのタイミングで事務局の方から、最後の事務手続きを完了した旨を連絡いただいた。最後まで引き受けていただいて大変ありがたかった。この方は、週3回3時間、パートタイマーとして事務局をしていただいた。もちろん有償である。そして、群Pが解散したことで、自動的にその上の組織である岐阜県PTA連合会(以下「県P」という)も脱退した。あれから半年以上が経過して、周囲のPTAの状況を確認すると、たいした混乱や、群P・県Pに戻りたいという声は聞かない。むしろ今までそんなところに所属していたの?という疑問のほうが大きいくらいに感じる。誰も解散の実績を褒めてくれるわけではないのだけど、PTA会長になった上に、「群Pや県Pの会議が年にX回あるからよろしく」と言われた日の絶望感たるや、思い出すだけでもぞっとするので、そういう気持ちになってしまうPTA会長さんが、少なくとも加茂郡全体で20人減り、家族との時間や仕事の時間が増えたのだということが、なにより嬉しい。
コミュニティと教育を見終わって、2つ感じたことがある。1つ目は、教育に関するコミュニティは、地域性活動、テーマ性活動ともに、お金がほとんど無いということだろう。登場人物のほとんどがボランティアに等しい。普通の社会人くらいお金をもらっている人が登場していないと思った。大学の先生だって、一流企業ほどはお給料をもらっていない。私が群Pを解散させようと口火を切った理由の一つが、組織の無意味さと教育に対する善意のコントロールにある。「子どもたちのためにXXXしましょう」と言ってボランティア活動を推進すれば、PTA会長を引き受けるほどの人材ならば、迷わず参加してしまう。こういう善意を悪用してコントロールするような風潮を、県Pから感じた。そしてその下部組織である群Pの存在意義はほとんどなかった。であるから群P解散・県P退会を推進したのだ。この善意のコントロールに対して、令和7年度県P会長はほとんど無意識に実行していた。「PTAはやりたい人がうんとやればいい」という主張を繰り返しなさっていた。PTAはやりたい人がやればいいのであれば、きっと保護者の大多数は退会するだろう。その矛盾を指摘すると黙ってしまう。そういう保護者からお金を徴収して活動しているのに、「自分はやりたいからやっている」では、考慮不足であると思う。私は善意のコントロールについて実情を踏まえて理事会で課題提案したが、組織としてその批判を検討することができなかったので、県Pのテーマ性というのは、「テーマを語っているだけで、テーマを重要視していない」ということが理解できる。「子どもたちのため」といいながら、子どもたちから親を取り上げることや、子どもたちのためといいながら集めたお金で東京や石川県などの大会に理事が参加するための旅費が出たり、事務局を5人も雇用するのは、猟奇的ですらあると思う。群P・県Pともに、お金が潤沢にある。それは保護者から簒奪しているからであるのだけど、映像に出ていたボランティアのように、自分たちができることを1つずつ積み上げていこうという気概のないボランティアは、本来のボランティアとは違って、行政の怠慢から発生した、善意の搾取構造にすぎないのだと感じた。県P理事には「校長先生登用試験の面接官」という岐阜県教育委員会から依頼される役職があるのだけど、気持ち悪すぎて辞退した。校長先生登用試験の面接官を保護者ボランティアにやらせている教育委員会は、馬鹿ばかり揃っているに違いない。もしあなたが自動車教習所に通っていて、最終試験の担当者が街の車屋さんがボランティアでやっていたら、この試験が正当に実施されたものなのか疑問に思うだろう。そんなものは、本来的には不要なのだ。不要なのにやっているというのは、誰かの自己欺瞞に付き合っているだけなのだと私は思う。
2つめは、都市部の学校では、地域性とテーマ性の両立が難しいのだなと改めて感じた。岐阜県の可児市PTA連合会(以下「可児市P」という)の会長さんは、とても熱心にPTAの地域性とテーマ性の両立を推進しようとしていた。PTA主催のMeet Upや、PTAとはどういう組織か?という講義とか、そういうもので、もちろん子連れで参加して良いというものだ。そもそも小学校のPTAというのは、学校と保護者が連携して子育てをやっていこうねっていう組織なのだから、Meet Upというのはおかしいのではないかというのはここでは置いておく。可児市Pのやっていることは、保護者同士の連帯感を増やすことが目的で、本来のPTAの目的とは異なるというよりかとても迂遠であると言ったほうが良いかもしれない。また、PTAが学校に付随する組織であれば、活動は学校活動支援に限定されるべきだと思う。そういうテーマ性の齟齬が、1つずつ積み上がった結果が、恐らく今の県Pのありようなのだと思う。退職された校長先生が事務局をやっていらっしゃるので、恐らく「理想の保護者ボランティアはこうあるべき」を追求なさった結果なのだと思うのだけど、ボランティアは人の子で、人の親なのだということを取り除けば、県Pのやっていることも理解できる。可児市Pのように、学校の外の活動に活路を見いだした場合、それは単なるサークル活動であってPTAでは無いのだ。PTAの地域性だけを見れば、Meet Upは純粋にPTA活動を支援しているように思えるが、さすがにゴールが遠すぎる。地域性は地域の中で育まれるものであって、同じ学校に通ってるからとか、そこに住んでいるからという理由で強制されるものではないのだ。可児市Pのように、外国人もたくさんいて、日本人の保護者も共働きが多くてなかなかPTA活動に理解が得られない!と考えているのであれば、きっと本来のPTA活動に立ち返っていないのだと思う。例えばベルマークを集めて子どもたちの使う学校備品を整えようという運動があった。こういうのは、家庭で購入したものについているベルマークポイントを集めると「おまけとして」備品購入できるので、誰でも無理なく参加できるところが良かった。発想はとてもよい。ただ、ベルマークを集めることが目的になって商品を買わなくちゃいけなかったり、貼るのがめんどうだったり、家庭から保護者を奪う活動であることや、ポイントが低すぎてコスパタイパが悪すぎることなど、デメリットが浸透したので衰退したのだ。子どもの学校教育環境を整えるためには何ができるのかを、もう一度考えて欲しい。きっと活路があるように思う。
小さい学校には小さい学校なりの悩みがあり、大きい学校には大きい学校なりの悩みがある。1人の子のせいで学級崩壊するところもあれば、1人の子のおかげで素晴らしい学級になることもある。1年ごとに変わる人間模様を、組織的に統制していくのは並大抵のことではないと思うが、約200日子どもと一緒にいる先生が、どういう視点で見てくれるのかなというのを、保護者がしっかりと見れるようになるといいと思う。学校の授業支援ボランティアは、本来のPTA活動の目的と照らし合わせてもかなりよい活動であると思う。先生の顔を覚えられる、子どもたちの授業の様子が見れる、親の心配を安心に変えられるし、先生の不安も安心に変えられる。こういう取り組みが広がって欲しいなと思う。
そういえば東白川村の義務教育学校では、放課後教室がちゃんとした児童館活動(って今時は言わないのかな)になるそうな。村のサロンの空き時間を利用するらしい(村のサロンは15時までなので、その後利用するからいいね)。児童館は、共働きの親が帰ってくるまで、行政が子どもを面倒見てくれる施設だ。小学校低学年のうちに利用できるもので、高学年からはひとりで家で過ごせるでしょっていうものらしい。まあそれはさておき、児童館をするなら、児童館に通ってない子どもたちも遊びに行ける状態にしてほしいなと思う。昔、仲の良い友だちが児童館通いだったので、私も帰宅してから児童館に行って、一緒に遊んでいた。児童館には将棋とか、マンガとか、遊ぶものがたくさんあった記憶があるが、村のサロンにはおもちゃが無いので、きっと宿題させたり、なんかみんなで遊べるゲームみたいなのをするんだろう。
放送大学の「コミュニティと教育」全15回を見終わった。今すぐ役に立つ知識なのかどうかと問われると、少しよくわかんない。ただ、見終わった上で、最近私の周りで聞いた話を整理することはできるなと思った。
昨年、岐阜県加茂郡PTA連合会(以下「群P」という)の副会長を仰せつかった。1年かけて群Pを解散する提案をし、総会にて解散が決定された。夏休みのタイミングで事務局の方から、最後の事務手続きを完了した旨を連絡いただいた。最後まで引き受けていただいて大変ありがたかった。この方は、週3回3時間、パートタイマーとして事務局をしていただいた。もちろん有償である。そして、群Pが解散したことで、自動的にその上の組織である岐阜県PTA連合会(以下「県P」という)も脱退した。あれから半年以上が経過して、周囲のPTAの状況を確認すると、たいした混乱や、群P・県Pに戻りたいという声は聞かない。むしろ今までそんなところに所属していたの?という疑問のほうが大きいくらいに感じる。誰も解散の実績を褒めてくれるわけではないのだけど、PTA会長になった上に、「群Pや県Pの会議が年にX回あるからよろしく」と言われた日の絶望感たるや、思い出すだけでもぞっとするので、そういう気持ちになってしまうPTA会長さんが、少なくとも加茂郡全体で20人減り、家族との時間や仕事の時間が増えたのだということが、なにより嬉しい。
コミュニティと教育を見終わって、2つ感じたことがある。1つ目は、教育に関するコミュニティは、地域性活動、テーマ性活動ともに、お金がほとんど無いということだろう。登場人物のほとんどがボランティアに等しい。普通の社会人くらいお金をもらっている人が登場していないと思った。大学の先生だって、一流企業ほどはお給料をもらっていない。私が群Pを解散させようと口火を切った理由の一つが、組織の無意味さと教育に対する善意のコントロールにある。「子どもたちのためにXXXしましょう」と言ってボランティア活動を推進すれば、PTA会長を引き受けるほどの人材ならば、迷わず参加してしまう。こういう善意を悪用してコントロールするような風潮を、県Pから感じた。そしてその下部組織である群Pの存在意義はほとんどなかった。であるから群P解散・県P退会を推進したのだ。この善意のコントロールに対して、令和7年度県P会長はほとんど無意識に実行していた。「PTAはやりたい人がうんとやればいい」という主張を繰り返しなさっていた。PTAはやりたい人がやればいいのであれば、きっと保護者の大多数は退会するだろう。その矛盾を指摘すると黙ってしまう。そういう保護者からお金を徴収して活動しているのに、「自分はやりたいからやっている」では、考慮不足であると思う。私は善意のコントロールについて実情を踏まえて理事会で課題提案したが、組織としてその批判を検討することができなかったので、県Pのテーマ性というのは、「テーマを語っているだけで、テーマを重要視していない」ということが理解できる。「子どもたちのため」といいながら、子どもたちから親を取り上げることや、子どもたちのためといいながら集めたお金で東京や石川県などの大会に理事が参加するための旅費が出たり、事務局を5人も雇用するのは、猟奇的ですらあると思う。群P・県Pともに、お金が潤沢にある。それは保護者から簒奪しているからであるのだけど、映像に出ていたボランティアのように、自分たちができることを1つずつ積み上げていこうという気概のないボランティアは、本来のボランティアとは違って、行政の怠慢から発生した、善意の搾取構造にすぎないのだと感じた。県P理事には「校長先生登用試験の面接官」という岐阜県教育委員会から依頼される役職があるのだけど、気持ち悪すぎて辞退した。校長先生登用試験の面接官を保護者ボランティアにやらせている教育委員会は、馬鹿ばかり揃っているに違いない。もしあなたが自動車教習所に通っていて、最終試験の担当者が街の車屋さんがボランティアでやっていたら、この試験が正当に実施されたものなのか疑問に思うだろう。そんなものは、本来的には不要なのだ。不要なのにやっているというのは、誰かの自己欺瞞に付き合っているだけなのだと私は思う。
2つめは、都市部の学校では、地域性とテーマ性の両立が難しいのだなと改めて感じた。岐阜県の可児市PTA連合会(以下「可児市P」という)の会長さんは、とても熱心にPTAの地域性とテーマ性の両立を推進しようとしていた。PTA主催のMeet Upや、PTAとはどういう組織か?という講義とか、そういうもので、もちろん子連れで参加して良いというものだ。そもそも小学校のPTAというのは、学校と保護者が連携して子育てをやっていこうねっていう組織なのだから、Meet Upというのはおかしいのではないかというのはここでは置いておく。可児市Pのやっていることは、保護者同士の連帯感を増やすことが目的で、本来のPTAの目的とは異なるというよりかとても迂遠であると言ったほうが良いかもしれない。また、PTAが学校に付随する組織であれば、活動は学校活動支援に限定されるべきだと思う。そういうテーマ性の齟齬が、1つずつ積み上がった結果が、恐らく今の県Pのありようなのだと思う。退職された校長先生が事務局をやっていらっしゃるので、恐らく「理想の保護者ボランティアはこうあるべき」を追求なさった結果なのだと思うのだけど、ボランティアは人の子で、人の親なのだということを取り除けば、県Pのやっていることも理解できる。可児市Pのように、学校の外の活動に活路を見いだした場合、それは単なるサークル活動であってPTAでは無いのだ。PTAの地域性だけを見れば、Meet Upは純粋にPTA活動を支援しているように思えるが、さすがにゴールが遠すぎる。地域性は地域の中で育まれるものであって、同じ学校に通ってるからとか、そこに住んでいるからという理由で強制されるものではないのだ。可児市Pのように、外国人もたくさんいて、日本人の保護者も共働きが多くてなかなかPTA活動に理解が得られない!と考えているのであれば、きっと本来のPTA活動に立ち返っていないのだと思う。例えばベルマークを集めて子どもたちの使う学校備品を整えようという運動があった。こういうのは、家庭で購入したものについているベルマークポイントを集めると「おまけとして」備品購入できるので、誰でも無理なく参加できるところが良かった。発想はとてもよい。ただ、ベルマークを集めることが目的になって商品を買わなくちゃいけなかったり、貼るのがめんどうだったり、家庭から保護者を奪う活動であることや、ポイントが低すぎてコスパタイパが悪すぎることなど、デメリットが浸透したので衰退したのだ。子どもの学校教育環境を整えるためには何ができるのかを、もう一度考えて欲しい。きっと活路があるように思う。
小さい学校には小さい学校なりの悩みがあり、大きい学校には大きい学校なりの悩みがある。1人の子のせいで学級崩壊するところもあれば、1人の子のおかげで素晴らしい学級になることもある。1年ごとに変わる人間模様を、組織的に統制していくのは並大抵のことではないと思うが、約200日子どもと一緒にいる先生が、どういう視点で見てくれるのかなというのを、保護者がしっかりと見れるようになるといいと思う。学校の授業支援ボランティアは、本来のPTA活動の目的と照らし合わせてもかなりよい活動であると思う。先生の顔を覚えられる、子どもたちの授業の様子が見れる、親の心配を安心に変えられるし、先生の不安も安心に変えられる。こういう取り組みが広がって欲しいなと思う。
そういえば東白川村の義務教育学校では、放課後教室がちゃんとした児童館活動(って今時は言わないのかな)になるそうな。村のサロンの空き時間を利用するらしい(村のサロンは15時までなので、その後利用するからいいね)。児童館は、共働きの親が帰ってくるまで、行政が子どもを面倒見てくれる施設だ。小学校低学年のうちに利用できるもので、高学年からはひとりで家で過ごせるでしょっていうものらしい。まあそれはさておき、児童館をするなら、児童館に通ってない子どもたちも遊びに行ける状態にしてほしいなと思う。昔、仲の良い友だちが児童館通いだったので、私も帰宅してから児童館に行って、一緒に遊んでいた。児童館には将棋とか、マンガとか、遊ぶものがたくさんあった記憶があるが、村のサロンにはおもちゃが無いので、きっと宿題させたり、なんかみんなで遊べるゲームみたいなのをするんだろう。
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