Twitterをやめるには知識が必要

Twitterをやめるには知識が必要なのではないか
どうやら今日もTwitter大好き君とYouTubeショート動画無限城君が出てきて、私の昼食後の時間をだいぶ荒らしていった。
毎日社会派気取りでいろんな情報をあさっているのだけど、大別すると、エンタメ系(アニメ中心)と未来のこと(政治経済)に二分できる。私のホットトピックは、この数年この2つに食い荒らされている。
週刊文春を読んでいたこともあったのだけど、文章を読むと、要点を得ないことが多くて、Twitter等で指摘があって初めて気づくものも多い。要するに、私は一次情報を見ても、問題には気づいていないことが多いのだ。
今日もあったのが、タブレット教科書の導入についてのニュース。欧米諸国は、タブレット教科書導入後に成績が下がってしまった。だから入れないほうが良いとTwitterで指摘する人がいた。しかし、私は最初に「タブレット教科書導入するんだー」という受け止めだけになって、そこで反論したりすることはない。新聞を読んでいて、指摘ができるのは、自分の専門分野であるITのことか、子育てのこと、地方創生のことくらいである。あとは指摘できない。 新聞でも社説がおもしろいように、論点というのは、論客が作るものであって、視点というのは、いろんな論点が作るものなのだと思う。だから自分の経験してきたことや技術の範囲では論点をもてるのだけど、それ以外のことは、受け止めだけになってしまう。
全分野で論点視点を持つのは難しいので、いろいろ学びを増やしていきたいと思う。学び直しだ。
43歳となって、今から学び直しというのもなかなか一歩が踏み出せないところだけど、やってみて損はないと思う。
Twitterの面白さ、社説を読んでいるかのような面白さというのは、なかなか中毒性があるものだ。それにあらがうには、自分も同じくらいの知識をつけないといけないんだなと強く感じる。

著者

檜の里の片隅に庵を結び、世の移ろいを眺めながら暮らす物書き。
……というのは半分冗談。
地方で暮らしながら、事業、法律、政治、経済、IT、アニメ、本など、興味のおもむくままによしなしごとを綴っています。
専門家でも評論家でもありません。
日々の暮らしの中で考えたこと、学んだこと、面白かったことを忘れぬよう記録しているだけです。
昨日の自分と今日の自分が違うように、ここに書かれた考えも変わっていくかもしれません。
それもまた人の営みとして、ご笑覧いただければ幸いです。

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