社会力の無い老人の量産
門脇厚司著「社会力を育てる」を読んでいる。現在第3章まで読み終わった。第3章は医学分野の話しで、人間に先天的に備わった社会性を満たすための能力について述べられていた。そして締めくくりとしては、それらを伸ばし、育てることに言及されていく。 人間は生まれたときから社会性を備えている。誰かの表情や仕草を目視して、コトバを聞いて言葉に変換して受け入れ、表情や仕草やコトバとして返すことができるのだ。
ここまで読んでふと思った。これらを今「できていない」のは、50歳以上、60歳以上の方に多いなということ。90歳を超えると、できない人は少ないように思える。なにが違うのか。戦争や戦後体験が違うのだろうと思う。
戦中、戦後は、みんなが一致団結して避難して、食料を分け合い、出兵を見送ってきたのだ。そういう経験をしてきた人たちは、本当に物腰が柔らかい。 私にもおばあちゃんがいて、今年で96歳になる。広島に住んでいて、第二次大戦中は、中学生の年齢だったそうだが、女学生は医療班として、負傷兵や市民の治療にあたっていた。広島市内から離れたところで活動していたそうだが、原爆の雲も見たそうだ。 おばあちゃん、そしてもう亡くなったおじいちゃん。ふたりとも本当に優しい人だった。すいかを食べれて幸せ、本が読めて幸せ、ごはんを食べて幸せ、海水浴ができて幸せ、釣りができて幸せと、小さい不幸をものともせずに生きていたと思う。
ところが、私の両親世代はどうだろうか。年齢は70代である。私の父は、地元の魚屋の息子だったので、地域に根付いた人だ。だから社会性というか、街の中に古い付き合いの人が多い。ボランティアとか祭りの手伝いをしているところは見たことがないけど、街を歩けば昔からの友だちがいる。そいうことろで暮らしていれば、社会力というのは育つだろうと思う。
問題はそうではない、田舎から都会に出てきた人たちで、仕事しかしていない人のことだろう。70代というのは、定年退職して暇を持て余している。肉体は衰えていて、何度か手術をした人もいると思う。彼らを支えているのは現役世代。そろそろ日本は終わるだろう。
70代の人たちからよく聞く言葉は、「俺らのときはもっと活気があった」とか「昔はよかった」というコトバだ。私はこういう人は好きではない。つまり、高度経済成長期の浮かれた気持ちを、まだ未練がましくもっているということだろう。
参政権も行使しないし、ボランティア活動地域活動もしない、結婚しても子どもを1に人しか育てていない人もいる。人口を減らし、社会力を衰えさせ、国庫をすりつぶしている。この人たちが、せっせと動いている東京を見たことがない。会話も難しい。年下に敬語が使えない。お願いができない。頼れない。文字が読めない。自分で調べられない。スマホも使えないし、契約も自力でできない。
「社会力を育てる」と聞いたとき、私は一番最初に「50~70代が邪魔だな」と思った。彼らはもう育たない。若い10代、20代の子たちの社会力は、かなり優秀だと思う。その分、50代くらいの上司にハラスメントを受けると、しょげてしまう。○○ハラスメントが流行ったきっかけは、世代間のコトバの受け止め方のギャップに違いない。
頭の悪い高校で毎日喧嘩ばかりしていたみたいな人間は、現代にはほぼいない。まあ不良も少しは残っているのだろうけど、街中では見なくなった。私も今、GTOなどを読み返すと、ギャップがすごすぎて受け入れることが難しい。
社会力を育てるを読んで、育てられないなという感想を持ってしまうことは残念なことなのかもしれないけど、50代以上の人たちを速やかに退場させることのほうに心血を注いだ方がいいのではないかと思ってしまう。それぐらいに、現代社会は疲弊してしまっているのではないかなと思う。ボンタンはいて、リーゼントで、単車を乗り回して、それでも生きて60歳を超えている人たちと、現代の30歳の活力の無さを比べては、むなしくなるだけだ。
30歳が元気が無いのは、60歳がちゃんと社会を自分の子ども世代に引き継げなかったからだ。
それで今更社会力と言われてもと思ってしまった。
だけど、逃げてばっかりいられないので、この本は最後まで読み切って、それからもう一度、どうやったら50代~70代社会力を育てることができるのか考えていきたい。
ちなみになぜこういう書きぶりなのかというと、30代40代の社会力が低下しているのは、自分たちの実入りが少なく、支援が少ないからだ。それが改善されれば、基本的に社会性はもっている。ただ、子どもがいない人は社会性はかなり怪しい。下の世代に対する配慮が難しいだろう。それもその人たちの親世代の影響なのだけど、きっとそんな責任を取ろうという人はいないだろう。
難しいなで終わらせずに、1つでも小さい収穫がほしいなと思う。
門脇厚司著「社会力を育てる」を読んでいる。現在第3章まで読み終わった。第3章は医学分野の話しで、人間に先天的に備わった社会性を満たすための能力について述べられていた。そして締めくくりとしては、それらを伸ばし、育てることに言及されていく。 人間は生まれたときから社会性を備えている。誰かの表情や仕草を目視して、コトバを聞いて言葉に変換して受け入れ、表情や仕草やコトバとして返すことができるのだ。
ここまで読んでふと思った。これらを今「できていない」のは、50歳以上、60歳以上の方に多いなということ。90歳を超えると、できない人は少ないように思える。なにが違うのか。戦争や戦後体験が違うのだろうと思う。
戦中、戦後は、みんなが一致団結して避難して、食料を分け合い、出兵を見送ってきたのだ。そういう経験をしてきた人たちは、本当に物腰が柔らかい。 私にもおばあちゃんがいて、今年で96歳になる。広島に住んでいて、第二次大戦中は、中学生の年齢だったそうだが、女学生は医療班として、負傷兵や市民の治療にあたっていた。広島市内から離れたところで活動していたそうだが、原爆の雲も見たそうだ。 おばあちゃん、そしてもう亡くなったおじいちゃん。ふたりとも本当に優しい人だった。すいかを食べれて幸せ、本が読めて幸せ、ごはんを食べて幸せ、海水浴ができて幸せ、釣りができて幸せと、小さい不幸をものともせずに生きていたと思う。
ところが、私の両親世代はどうだろうか。年齢は70代である。私の父は、地元の魚屋の息子だったので、地域に根付いた人だ。だから社会性というか、街の中に古い付き合いの人が多い。ボランティアとか祭りの手伝いをしているところは見たことがないけど、街を歩けば昔からの友だちがいる。そいうことろで暮らしていれば、社会力というのは育つだろうと思う。
問題はそうではない、田舎から都会に出てきた人たちで、仕事しかしていない人のことだろう。70代というのは、定年退職して暇を持て余している。肉体は衰えていて、何度か手術をした人もいると思う。彼らを支えているのは現役世代。そろそろ日本は終わるだろう。
70代の人たちからよく聞く言葉は、「俺らのときはもっと活気があった」とか「昔はよかった」というコトバだ。私はこういう人は好きではない。つまり、高度経済成長期の浮かれた気持ちを、まだ未練がましくもっているということだろう。
参政権も行使しないし、ボランティア活動地域活動もしない、結婚しても子どもを1に人しか育てていない人もいる。人口を減らし、社会力を衰えさせ、国庫をすりつぶしている。この人たちが、せっせと動いている東京を見たことがない。会話も難しい。年下に敬語が使えない。お願いができない。頼れない。文字が読めない。自分で調べられない。スマホも使えないし、契約も自力でできない。
「社会力を育てる」と聞いたとき、私は一番最初に「50~70代が邪魔だな」と思った。彼らはもう育たない。若い10代、20代の子たちの社会力は、かなり優秀だと思う。その分、50代くらいの上司にハラスメントを受けると、しょげてしまう。○○ハラスメントが流行ったきっかけは、世代間のコトバの受け止め方のギャップに違いない。
頭の悪い高校で毎日喧嘩ばかりしていたみたいな人間は、現代にはほぼいない。まあ不良も少しは残っているのだろうけど、街中では見なくなった。私も今、GTOなどを読み返すと、ギャップがすごすぎて受け入れることが難しい。
社会力を育てるを読んで、育てられないなという感想を持ってしまうことは残念なことなのかもしれないけど、50代以上の人たちを速やかに退場させることのほうに心血を注いだ方がいいのではないかと思ってしまう。それぐらいに、現代社会は疲弊してしまっているのではないかなと思う。ボンタンはいて、リーゼントで、単車を乗り回して、それでも生きて60歳を超えている人たちと、現代の30歳の活力の無さを比べては、むなしくなるだけだ。
30歳が元気が無いのは、60歳がちゃんと社会を自分の子ども世代に引き継げなかったからだ。
それで今更社会力と言われてもと思ってしまった。
だけど、逃げてばっかりいられないので、この本は最後まで読み切って、それからもう一度、どうやったら50代~70代社会力を育てることができるのか考えていきたい。
ちなみになぜこういう書きぶりなのかというと、30代40代の社会力が低下しているのは、自分たちの実入りが少なく、支援が少ないからだ。それが改善されれば、基本的に社会性はもっている。ただ、子どもがいない人は社会性はかなり怪しい。下の世代に対する配慮が難しいだろう。それもその人たちの親世代の影響なのだけど、きっとそんな責任を取ろうという人はいないだろう。
難しいなで終わらせずに、1つでも小さい収穫がほしいなと思う。
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